<< この図は、神を信じる者と、サタン側の者との対比です >>
神は、人を神に似せて造られましたがサタンが知恵の樹を食べさせてしまいました。そこから人は堕落して行きましたが、それでも良い人は存在し続けます。そしてついに新しい人に造り変えられ再び神と共に歩き出すのが神の目的です。最初から神は複数であることに注意してください。(へブル語では複数で表現されており日本語や英語訳では神やGodになってしまっています。ヨハネの福音書で言っている通り「言は神と共にあった」のです。あるいは創世記でも「我々のすがたに人を造ろう」と我々と書いてあります。そこからも判ります。)知識の樹の影響はますます大きくなり神にとって代わろうとしています。
以下の図をゆっくり味わってご覧ください。
この、”一人の新しい人” について解説する前に、ユダヤ人たちの過去を簡単に振り返ってみたいと思います。
ユダヤ人はアブラハムの時代より神の祝福を受けた民でありましたが、神が約束どうりに差し向けた我が子イエスをメシアと信じることが出来ず、十字架につけて殺しました。
そして、マタイ27:25 そして、民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にある」 と宣言したのです。
ユダヤ人のイスラエル国はその後、ローマがイスラエルを支配下におき十字軍遠征やホロコースやポグロムなど反ユダヤ主義などにより、AD70年 エルサレムは攻撃され国が無くなりました。その後も 英国、フランス、スペイン、ナポリ、ロシア、ポーランドらがユダヤ人追放令を出してユダヤ人を散らされました。
それから2000年間ユダヤ人は自分たちの国が無かったのです、しかしシオニズム運動の末、1947年に国際連盟(現在の国連)によりユダヤ人に国を与えることを決議され、1948年5月(昭和23年)にイスラエル建国となりました。
それは日本の四国とおなじくらいの面積しかない土地です。2018年現在で約60万人が帰国していると言います。しかしまだ、アメリカに600万人、フランスに数十万人、その他にも大勢いいますから四国くらいの面積では人口密度が高くなり到底狭すぎることが予想されます。主はそれもご存知で、
エゼキエル39:25-29 ”一人残らずイスラエルの人たち(ユダヤ人)を連れ帰る”
イザヤ49:20『この所は私には狭すぎる、私のために住むべき所を得させよう』とあります。ですから将来、イスラエル国は領土拡大されるはずです。
本題に戻り、”一人の新しい人” とは何のことでしょうか? 聖書を見てみましょう。
口語訳聖書:エペソ2:11 だから、記憶しておきなさい。あなたがたは以前には、肉によれば異邦人であって、手で行った肉の割礼ある者と称せられる人々からは、無割礼の者と呼ばれており、 2:12またその当時は、キリストを知らず、イスラエルの国籍がなく、約束されたいろいろの契約に縁がなく、この世の中で希望もなく神もない者であった。 2:13 ところが、あなたがたは、このように以前は遠く離れていたが、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近いものとなったのである。 2:14 キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、 2:15 数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、 2:16 十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。 2:17 それから彼は、こられた上で、遠く離れているあなたがたに平和を宣べ伝え、また近くにいる者たちにも平和を宣べ伝えられたのである。 2:18 というのは、彼によって、わたしたち両方の者が一つの御霊の中にあって、父のみもとに近づくことができるからである。 2:19 そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである。 2:20 またあなたがたは、使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられたものであって、キリスト・イエスご自身が隅のかしら石である。 2:21 このキリストにあって、建物全体が組み合わされ、主にある聖なる宮に成長し、 2:22 そしてあなたがたも、主にあって共に建てられて、霊なる神のすまいとなるのである。
また、同じ個所ですが英語の詳細訳聖書AMPCが判りやすいので参照します。
上記のAMPCエペソ人への手紙2章のURLは下記の通りです。https://www.bible.com/ja/bible/8/EPH.2.AMPC
要するに、日本語聖書では判りにくいですが、Jew=ユダヤ人と、Gentile=異邦人(ユダヤ人以外の人たち)が、一つの新しい人、Single body = ひとつの体になると書いてあります。
それはここにも書いてあります。口語訳聖書:エペソ3:6 それは、異邦人が、福音によりキリスト・イエスにあって、わたしたちと共に神の国をつぐ者となり、共に一つのからだとなり、共に約束にあずかる者となることである。(共同訳聖書や新改訳聖書では、”共に” が省略してあります。)ご参考:共同訳聖書:エペソ3:6 すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。ご参考:新改訳聖書:エペソ3:6すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。
神は、私たち両者を共にひとつにして、敵意のすべての垣を取り壊し、”一つの新しい人” として平和をつくるためであり神に和解させるためです。
このことは、ガラテア書で創世記で予告されてたと書いています。
口語訳聖書:ガラテア3:6 このように、アブラハムは「神を信じた。それによって、彼は義と認められた」のである。3:7 だから、信仰による者こそアブラハムの子であることを、知るべきである。 3:8 聖書は、神が異邦人を信仰によって義とされることを、あらかじめ知って、アブラハムに、「あなたによって、すべての国民は祝福されるであろう」との良い知らせを、予告したのである。
では、”一つの新しい人” になれる日は、その日 はいつでしょうか?
口語訳聖書:ゼカリア12:7 主はまずユダの幕屋を救われる。これはダビデの家の光栄と、エルサレムの住民の光栄とが、ユダの光栄にまさることのないようにするためである。12:8 その日、主はエルサレムの住民を守られる。彼らの中の弱い者も、その日には、ダビデのようになる。またダビデの家は神のように、彼らに先だつ主の使のようになる。12:9 その日には、わたしはエルサレムに攻めて来る国民を、ことごとく滅ぼそうと努める。 12:10 わたしはダビデの家およびエルサレムの住民に、恵みと祈の霊とを注ぐ。彼らはその刺した者を見る時、ひとり子のために嘆くように彼のために嘆き、ういごのために悲しむように、彼のためにいたく悲しむ。
このようにしてユダヤ人達は、彼らが十字架で刺したイエスが再臨で帰ってきたことを目の当たりにして、大きな嘆きと悲しみとともに悔い改めるのです。
その日とは、主イエス・キリストの再臨の日です。
さらに、その日 を調べてみましょう。
口語訳聖書:ゼカリア12:3-8 その日には、わたしはエルサレムをすべての民に対して重い石とする。これを持ちあげる者はみな大傷を受ける。地の国々の民は皆集まって、これを攻める。 12:4 主は言われる、その日には、わたしはすべての馬を撃って驚かせ、その乗り手を撃って狂わせる。しかし、もろもろの民の馬を、ことごとく撃って、めくらとするとき、ユダの家に対しては、わたしの目を開く。 12:5 その時ユダの諸族は、その心の中に『エルサレムの住民は、その神、万軍の主によって力強くなった』と言う。 12:6 その日には、わたしはユダの諸族を、たきぎの中の火皿のようにし、麦束の中のたいまつのようにする。彼らは右に左に、その周囲にあるすべての民を、焼き滅ぼす。しかしエルサレムはなお、そのもとの所、すなわちエルサレムで、人の住む所となる。 12:7 主はまずユダの幕屋を救われる。これはダビデの家の光栄と、エルサレムの住民の光栄とが、ユダの光栄にまさることのないようにするためである。 12:8 その日、主はエルサレムの住民を守られる。彼らの中の弱い者も、その日には、ダビデのようになる。またダビデの家は神のように、彼らに先だつ主の使のようになる。 12:9 その日には、わたしはエルサレムに攻めて来る国民を、ことごとく滅ぼそうと努める。
口語訳聖書:ゼカリア14:1-21 見よ、主の日が来る。その時あなたの奪われた物は、あなたの中で分かたれる。 14:2わたしは万国の民を集めて、エルサレムを攻め撃たせる。町は取られ、家はかすめられ、女は犯され、町の半ばは捕えられて行く。しかし残りの民は町から断たれることはない。 14:3その時、主は出てきて、いくさの日にみずから戦われる時のように、それらの国びとと戦われる。 14:4その日には彼の足が、東の方エルサレムの前にあるオリブ山の上に立つ。そしてオリブ山は、非常に広い一つの谷によって、東から西に二つに裂け、その山の半ばは北に、半ばは南に移り、 14:5わが山の谷はふさがれる。裂けた山の谷が、そのかたわらに接触するからである。そして、あなたがたはユダの王ウジヤの世に、地震を避けて逃げたように逃げる。こうして、あなたがたの神、主はこられる、もろもろの聖者と共にこられる。 14:6その日には、寒さも霜もない。 14:7そこには長い連続した日がある(主はこれを知られる)。これには昼もなく、夜もない。夕暮になっても、光があるからである。 14:8その日には、生ける水がエルサレムから流れ出て、その半ばは東の海に、その半ばは西の海に流れ、夏も冬もやむことがない。 14:9主は全地の王となられる。その日には、主ひとり、その名一つのみとなる。 14:10全地はゲバからエルサレムの南リンモンまで、平地のように変る。しかしエルサレムは高くなって、そのもとの所にとどまり、ベニヤミンの門から、先にあった門の所に及び、隅の門に至り、ハナネルのやぐらから、王の酒ぶねにまで及ぶ。 14:11その中には人が住み、もはやのろいはなく、エルサレムは安らかに立つ。 14:12エルサレムを攻撃したもろもろの民を、主は災をもって撃たれる。すなわち彼らはなお足で立っているうちに、その肉は腐れ、目はその穴の中で腐れ、舌はその口の中で腐れる。 14:13その日には、主は彼らを大いにあわてさせられるので、彼らはおのおのその隣り人を捕え、手をあげてその隣り人を攻める。 14:14ユダもまた、エルサレムに敵して戦う。その周囲のすべての国びとの財宝、すなわち金銀、衣服などが、はなはだ多く集められる。 14:15また馬、騾、らくだ、ろば、およびその陣営にあるすべての家畜にも、この災のような災が臨む。 14:16エルサレムに攻めて来たもろもろの国びとの残った者は、皆年々上って来て、王なる万軍の主を拝み、仮庵の祭を守るようになる。 14:17地の諸族のうち、王なる万軍の主を拝むために、エルサレムに上らない者の上には、雨が降らない。 14:18エジプトの人々が、もし上ってこない時には、主が仮庵の祭を守るために、上ってこないすべての国びとを撃たれるその災が、彼らの上に臨む。 14:19これが、エジプトびとの受ける罰、およびすべて仮庵の祭を守るために上ってこない国びとの受ける罰である。 14:20その日には、馬の鈴の上に「主に聖なる者」と、しるすのである。また主の宮のなべは、祭壇の前の鉢のように、聖なる物となる。 14:21エルサレムおよびユダのすべてのなべは、万軍の主に対して聖なる物となり、すべて犠牲をささげる者は来てこれを取り、その中で犠牲の肉を煮ることができる。その日には、万軍の主の宮に、もはや商人はいない。
その日、救われる異邦人の数はいかほどでしょうか? 聖書を見てみましょう。
口語訳聖書:ロマ11:25-27 兄弟たちよ。あなたがたが知者だと自負することのないために、この奥義を知らないでいてもらいたくない。一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人が全部救われるに至る時までのことであって、 11:26こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう。すなわち、次のように書いてある、「救う者がシオンからきて、
ヤコブから不信心を追い払うであろう。
11:27そして、これが、彼らの罪を除き去る時に、
彼らに対して立てるわたしの契約である」。
上記では、全部と訳してありますが、英語の聖書ではどうでしょうか?
https://www.bible.com/ja/bible/8/ROM.11.AMPC
until the full numberと言っています。これは、”完全な数字になるまで” です。そうです神のみが知る完全な数字です。全部ではないのです。
神のみが知る数に異邦人の救いが達した時、イスラエルは救われると言っています。
口語訳聖書:エペソ5:25-27 5:25夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい。キリストがそうなさったのは、水で洗うことにより、言葉によって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、 5:27また、しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会を、ご自分に迎えるためである。
これは教会と言っていますが、建物の教会でしょうか? 聖書をみてみましょう
https://www.bible.com/ja/bible/8/EPH.5.AMPC
the churchと書いてあります。教会です。しかしキリストは建物を愛されるのでしょうか? 違和感があります。ではさらに原書をたどってみましょう。
http://www.scripture4all.org/OnlineInterlinear/NTpdf/eph5.pdf
新訳聖書はギリシャ語で書かれています。この原書を元に英語や日本語など各国の言葉に訳されているのが聖書です。
さて、日本語や英語で教会、churchと訳されている言葉を見るとエクレアであることが判ります。エクレシアとは何でしょうか?
エクレシアとは、神に召された者達の意味です。主を信じるクリスチャンのことを指しています。決して建物ではありません。私たち自身のことです。
まとめてみましょう。
- その日、異邦人が神の知る数になります
- その日、ユダヤ人は再臨されたイエスを見て後悔し悔い改めます
- その日、異邦人とユダヤ人は共に、一人の新しい人となります
- その日、キリストはその一人の新しい人を花嫁を迎えます
それは同時に起こるのです。