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初めの雨、後の雨

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雨は聖霊。初めの雨は秋の雨。終わりの雨は春の雨。

ヨエル書2:23 シオンの子らよ。
あなたがたの神、主にあって、楽しみ喜べ。
主は、あなたがたを義とするために、初めの雨を賜り、大雨を降らせ、前のように、初めの雨と後の雨とを降らせてくださるからだ。

春 ⇒ 夏 ⇒ 秋 ⇒ 冬
↓       ↑
刈入れ    種まき

春夏秋冬(しゅんかしゅうとう)ユダヤの一年は日本と同じように季節があります。しかし日本の初めは1月1日の冬の季節ですが、ユダヤの新年は秋なのです。

最初の雨(秋の雨)とは?

だから年の最初の雨は種まきを行う秋なのです。 ユダヤは10月になると(スコット)仮庵の祭り(種まき)があります。

マタイ13:3 イエスは譬で多くの事を語り、こう言われた、「見よ、種まきが種をまきに出て行った。 13:4 まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。 13:5 ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、 13:6 日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。 13:7 ほかの種はいばらの地に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。 13:8 ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。 13:9 耳のある者は聞くがよい」。

最初の雨は、 御言葉を信じて悔い改めて、十字架を受け入れたクリスチャン、すなわち種となり土地にまかれた者への豊かな雨なのです。それは聖霊です。

マタイ13:37 イエスは答えて言われた、「良い種をまく者は、人の子である。 13:38 畑は世界である。良い種と言うのは御国の子たちで、毒麦は悪い者の子たちである。 13:39 それをまいた敵は悪魔である。収穫とは世の終りのことで、刈る者は御使たちである。 13:40 だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終りにもそのとおりになるであろう。 13:41 人の子はその使たちをつかわし、つまずきとなるものと不法を行う者とを、ことごとく御国からとり集めて、 13:42 炉の火に投げ入れさせるであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。 13:43 そのとき、義人たちは彼らの父の御国で、太陽のように輝きわたるであろう。耳のある者は聞くがよい。

わたしたちは良い土地にまかれて良く育ち、途中で腐ったり枯れたりせずに、最後には多くの実を結び、神の王国で太陽のように輝くことがでるようになろうではありませんか!

しかし、なりたてのクリスチャンは乳を飲む赤子なのです。過去は十字架と共にキリストイエスと死んだのですが、その性質はあなたにまだ残っているかも知れません。もしそうならばそれを完全に取り除きキリストに似たものとなるように変えていただかなければなりません。

へブル5:13 すべて乳を飲んでいる者は、幼な子なのだから、義の言葉を味わうことができない。

クリスチャンになって既に数年経過、しかし、あなたは今だに乳を飲んでいませんか? そうです柔らかい乳のような心地よい御言葉だけを食べていませんか?

聖句の難しいことを言われて理解できずに、心地よい言葉を引き合いに出して勝った気になっていませんか?

「神は愛です」「口で告白して救われました」「 思い悩むな 」「 あなたがたを休ませてあげます 」

もちろんそれらは正しい御言葉で真理です。しかしそれはまだ、乳の言葉なのです。例えば、狭い門から入りなさいとはどういうことでしょうか? 命に通じる門はなんと狭く、その道を見出す者は少ない。とはどういうことでしょうか?

マタイ 7:21「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。  

これに関しては重要なことなので別項「聞きたくない神の言葉」でご説明したいとおもいます。

最初に与えられる聖霊の力とは?

ロマ10:9 すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。 10:10 なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。 

1コリント12:3 そこで、あなたがたに言っておくが、神の霊によって語る者はだれも「イエスはのろわれよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言うことができない。

そうです、イエスが自分の主ですと自分の口で告白する時、あなたは聖霊の力を受けているのです。しかしこの乳飲み子の赤ちゃんの段階であなたはとどまっていてはなりません。種は芽吹いて成長して良い実を成らさなければ刈取りされないのです。

へブル5:12中-14 もう一度、神の言の初歩を、人から手ほどきしてもらわねばならない始末である。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要としている。 5:13 すべて乳を飲んでいる者は、幼な子なのだから、義の言葉を味わうことができない。 5:14 しかし、堅い食物は、善悪を見わける感覚を実際に働かせて訓練された成人のとるべきものである。

(この成人になるためのことは次項の「命の成長とは?」をご覧ください。)

使徒2:1 五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、 2:2 突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。 2:3 また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。 2:4 すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。

聖霊のバプテスマと言います。これも聖霊の力です。既に聖霊に満たされた人から譲り受けることができます。そして他国の言葉(異言)で話し出すのです。(異言を話さない人もいます。しかし話せないのではなくて語り出さないだけなのです。すでに受けたと信じてください。異言を話す兄弟姉妹と共に祈るとき発する事が多いです。)<福音派など異言を信じない教会や異端とみなす教会もあります。しかしあなたが聖書に書かれた事をすべて真実だと信じる時、あなたは解放されるのです。>

異言を語れるからと言ってあなたは誇ってはなりません。なぜなら異言は未信者の為のモノだからです。

1コリント 14:22 このように、異言は信者のためではなく未信者のためのしるしであるが、預言は未信者のためではなく信者のためのしるしである。 

この意味は、異言は既に信者にとっては当たり前のことです。いつでも自分の意思で異言で祈ることが可能です。だから、まだ信じていない未信者にとっては不思議なしるしなのです。だからキリストのように成るべくあなたはさらに成長することを望むでしょう。

最後の雨 (春の雨) とは?

最後の雨は、わたしたちが実を結び刈り取られる前の成長のための雨です。より大きな実をたわわに付けるために必要な聖霊の雨なのです。

ユダヤの春は(シャブオット)初穂の祭り(刈取り)の季節です。命の成長のための聖霊の働きなのです。

人類の最初の初穂はだれですか?

1コリント15:20 しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。

はい、このみ言葉のとおり、人の子が神の子となられた主キリストイエスです。彼が初穂となられ天に昇られたのです。

人類の最初のグループとしての初穂はどんな人ですか?

1テサロニケ 4:16 すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、 4:17 それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。 

はい、これもみ言葉のとおり、それは最初に挙げられる人々です。携挙(けいきょ、英語:Rapture)されます。残された信者は艱難を超えなければなりません。しかしそれも恵なのです。

命の成長とは?

聖書に書かれたみ言葉を生きた水と信じてトローゴ (ギリシャ語) :噛砕き飲むとき、それはロゴス (ギリシャ語) がレーマ(ギリシャ語)となりあなたの命となります。以下に説明をいたします。

ヨハネ6:48 わたしは命のパンである。 6:49 あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死んでしまった。 6:50 しかし、天から下ってきたパンを食べる人は、決して死ぬことはない。 6:51 わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である」。6:52 そこで、ユダヤ人らが互に論じて言った、「この人はどうして、自分の肉をわたしたちに与えて食べさせることができようか」。 6:53 イエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。 6:54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう。 6:55 わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物である。 6:56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はわたしにおり、わたしもまたその人におる。 6:57 生ける父がわたしをつかわされ、また、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者もわたしによって生きるであろう。 6:58 天から下ってきたパンは、先祖たちが食べたが死んでしまったようなものではない。このパンを食べる者は、いつまでも生きるであろう」。 6:59 これらのことは、イエスがカペナウムの会堂で教えておられたときに言われたものである。 6:60弟子たちのうちの多くの者は、これを聞いて言った、「これは、ひどい言葉だ。だれがそんなことを聞いておられようか」。 

この箇所は非常に大切な聖句です。イエスはご自分が命のパンだと言いました。イエスは人の子として産まれた人間でした。(この事についても別項でご説明いたします)

命のパンはみ言葉でありイエスキリストです。だからみ言葉を読むときライオンが肉を噛砕くように骨まで食べつくしなさいとイエスは言いました。

イザヤ38:13 わたしは朝まで叫んだ。主はししのようにわが骨をことごとく砕かれる。

この様に獅子が食べるがごとくむしゃぶり食べつくすことをギリシャ語でトローゴと言います。そしてあなたがみ言葉を誠に食べつくした時、このみ言葉は命の言葉(レーマ)となるのです。み言葉を吸収する毎にあなた自身をキリストに近づけ成長させます。そしてレーマはあなたの霊からあなたが話す相手の方の霊へ届くのです。

ヨハネ6:63 人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉(レーマ)は霊であり、また命である。

聖書を読むことが喜びとなるならあなたの種は良い土地にまかれて日々成長するのです。

人間は、肉体・魂(心、感情)・霊 から出来ています。しかし霊は私たちが認識することができません。霊に直接キリストイエスは語りかけてただの言葉だったロゴスに光を当ててレーマにしてくださるのです。そうするならばその真の意味をあなたは知ることとなりあなたの口は神を賛美するのです。

エペソ1:17₋18始 どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、知恵と啓示との霊をあなたがたに賜わって神を認めさせ、 1:18あなたがたの心の目を明らかにして下さるように、

レーマとなったみ言葉は、あなたの肉体にまで変化をもたらすのです。顔つきは和らぎ表情も穏やかなものとなるでしょう。怒った苦々しいクリスチャンはまだ変化していないのです。なぜなら天の国に怒った方がいるなど想像できるでしょうか?

詩編119:130 み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。

漁師だった無学のペテロが、なんと下記のように大勢の人々の間で語ったではないですか! これが聖霊の働きでありレーマとして聖書のことばを話したのです。

使徒2:14 そこで、ペテロが十一人の者と共に立ちあがり、声をあげて人々に語りかけた。「ユダヤの人たち、ならびにエルサレムに住むすべてのかたがた、どうか、この事を知っていただきたい。わたしの言うことに耳を傾けていただきたい。 2:15 今は朝の九時であるから、この人たちは、あなたがたが思っているように、酒に酔っているのではない。 2:16 そうではなく、これは預言者ヨエルが預言していたことに外ならないのである。すなわち、2:17 『神がこう仰せになる。終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。2:18そ の時には、わたしの男女の僕たちにもわたしの霊を注ごう。そして彼らも預言をするであろう。2:19また、上では、天に奇跡を見せ、下では、地にしるしを、
すなわち、血と火と立ちこめる煙とを、見せるであろう。
2:20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、日はやみに月は血に変るであろう。2:21 そのとき、主の名を呼び求める者は、みな救われるであろう』。2:22 イスラエルの人たちよ、今わたしの語ることを聞きなさい。あなたがたがよく知っているとおり、ナザレ人イエスは、神が彼をとおして、あなたがたの中で行われた数々の力あるわざと奇跡としるしとにより、神からつかわされた者であることを、あなたがたに示されたかたであった。 2:23 このイエスが渡されたのは神の定めた計画と予知とによるのであるが、あなたがたは彼を不法の人々の手で十字架につけて殺した。 2:24神はこのイエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせたのである。イエスが死に支配されているはずはなかったからである。

種から育つクリスチャンの成長に必要なのはみ言葉を心底知ると言うことです。そしてそのことを実行してゆくことが大切です。いや、レーマとなってあなたの心と霊に染み込んだ ”生きたみ言葉” はどうしても実行せざるを得ないのです。

ヨハネ2:23-25  イエスは過越祭の間エルサレムにおられたが、そのなさったしるしを見て、多くの人がイエスの名を信じた。 02:24 しかし、イエス御自身は彼らを信用されなかった。それは、すべての人のことを知っておられ、 02:25 人間についてだれからも証ししてもらう必要がなかったからである。イエスは、何が人間の心の中にあるかをよく知っておられたのである。

奇跡やしるしを見て信じただけのクリスチャンをイエスは信じないのです。真の信仰で歩み心変えられて御言葉を実行する人をイエスは求めておられます。

黙示録 3:15 わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。 3:16 このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。

わたしたちは世の塩、地の光なのですから熱く生きようではありませんか! いつでもどんなときでも自分がキリストの弟子であることを覚え、まだ救い主キリストのことを知らない人に奇跡を持って伝えようではないですか!

へブル4:11  したがって、わたしたちは、この安息にはいるように努力しようではないか。そうでないと、同じような不従順の悪例にならって、落ちて行く者が出るかもしれない。 4:12 というのは、神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志とを見分けることができる。

神の安息は人間のために造られたのであり、その安息に入ると言うことは神の臨在の中に入るということです。わたしたちはキリストに似たものになるためにたゆまず努力して行かねばなりません。神の言は生きているのです。神はあなたの奥底の心までも見られるのです。

エペソ4:3  平和のきずなで結ばれて、聖霊による一致を守り続けるように努めなさい。

二心をもってはなりません。悪魔と神の両方に仕えることはできないからです。

マタイ11:12  バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている。

天国すなわち神の王国は、激しく襲われるほどに欲するべきものなのです。わたしたちは激しく情熱をもって神の王国に入る努力をしなければならないのです。

ルカ16:16  律法と預言者は、ヨハネの時までである。それ以来、神の国の福音が告げ知らされ、だれもが力ずくでそこに入ろうとしている。

マタイ7:13 狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。

ヨハネ4:23  しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。 04:24神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。

真理とは、あなたの本心、あなたの真実、あなたの誠なのです。

マタイ7:7  「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。 07:08だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。


まとめ:
種まきされた種に対する赤子のための聖霊の雨と、刈入れを待つ成長した実のなるクリスチャンのための聖霊の雨があります。わたしたちは初めの雨に満足せず次のステップに入るために努力しなければ神の王国にはいることができません。たゆまず聖書を噛砕いて飲み込みレーマにしてそれを実行するのです。

まちがってはいけません、行いが先にあるのではありません。行いはレーマがあなたをその行いに導いてくれて自発的に喜んで行うものなのです。そうです行いは結果なのです。

アブラハムのごとく、心から復活の主を信じて口で告白して主キリストイエスを自分の主だというときあなたは義と認められ本当に救われるのです。アーメン


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