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人から出たもの⇔神から出たもの

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私たちは学校でフランス革命は正義の革命と習ったでしょう。しかしそれは ”目くらまし” でした。一見正しいように見える裏で何が行われていたのか? それを知ろうとする人は少ないです。教科書やNHK報道やTVや新聞が正義で正しいと思うことに疑問を抱かなければなりません。

自由・平等・博愛を主張して革命を起こしました。そしてそれは人本主義的な自由主義思想と平等主義思想を広めました。フランス革命の結果は、人間の理性を高く持ち上げ、資本主義を発達させ、科学をまい進させました。その目標は世界の秩序を保つよう世界平和の名のもとに統制しようとする方向へ向かっています。

それの本当に意味することは何なのでしょうか?

まったくの自由とは何でしょうか?

資本主義は能力のある人が家系や人種に囚われずに自由に経済活動ができるメリットがあります。自由の名の基に発達した資本主義は、果てしなく競争し、非情になり、お金のために生きます。お金のためなら嘘をつかずに騙す方法 を巧みに考えます。そして現在、儲けに儲けた一部の人たちが経済権力を得ています。彼らは言います「お前たちが怠けて努力しないから貧乏なままなのだ、自業自得だ」。経済的自由主義と言います。なんでもお金で解決しようとします。これが人の考える自由の結果です。 人間の理性を高く持ち上げた結果です。これがサタンの計画です。

まったくの平等とは何でしょうか?

資産を持っていた人から貧乏の民へ還元し、国民服なるものを着せ平等を目指した社会主義国は崩壊しました。差別と区別は異なります。もし全くの平等を造り出すにはどうすればよいのでしょうか? 人の能力を一定に保ち、学力を均一にして知識の格差をなくす。これは人間が考える極めて人間らしくない解決方法です。まったく同じにすることが平等の答えでは絶対に無理が生じて崩壊します。神の前に人は平等であると説いたことを、いかにも平等がさも素晴らしいことのように高らかに謳うのは大きな人間の間違いです。人と人はそれぞれ個性があり考え方や価値観も異なるのが当たり前です。そこになんらかの差が生まれるのは当たり前です。本当の平等が成り立つのは神の前に立つ人間に言えることなのです。神の前にはどんな裕福な人もどん底の人もみな同じなのです。

しかし、人の知恵は小市民を造り出します。ある一定の枠(思想的)にはめ込むことで自在に操ることができます。その範囲での自由・平等です。

博愛とは何でしょうか?

ひろく愛すると言うことであり、主イエスキリストが全ての人を慈しみ愛することが本当の愛です。普通の人間にそんなことはできません。目の前にいる人を一人助けるだけでも大変です。どんな危険が隠れているか分からないからです。自分の家族を守るだけで精いっぱいですと言いながら、だから人は観て見ぬふりをするのです。あるいはせいぜい持っているほんの少しを与えて自分は今日いいことをしたと満足するのです。それが小市民の範囲なのです。


人から出たもの=肉から出たもの

人の思想・哲学・科学・宗教・・・

善悪の木から出たもの=サタンの知識・人の知識

ヒューマニズム

自由・平等・博愛は人から出たものです

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神からでたもの=御霊から出たもの

聖霊をとおして出たもの

愛、命、慈愛、謙遜、柔和、、、
==良い実(これはヘブル語だと単数形)

キリストの内にある命

この命の現れが愛==神


世の中のほとんどの人は偉くなって成功することを望みます。身を粉にして働き熱心に勉強します。権威ある人と交流を続けようとします。少しでも金持ちと付き合おうとします。偉い人は貧しい人と友達になろうとしません。金持ちは貧乏な人と友達になろうとしません。

人は情を忘れています。利己的な人が多すぎます。大きな家に住み、最新の車を所有し、値札を見ずに買い物をしたい人が沢山います。その一方に、今日食べるに困っている人がいます。病気で働けない人もいます。詐欺にあって路頭に迷っている人もいます。しかしだれも助けようとしません。どうしてでしょうか? 自業自得と考えるのでしょうか? 資本主義的な考えが人を変えたのでしょうか? 私たちは根本的に間違っています。

なぜ人は権力を追求し、富を追求するのでしょうか? それは権力があればそれだけ他人に縛られず自由になれると考えているからです。お金があればお金の力で問題を解決できるため、問題や事情に縛られず、それだけ自由になれると信じているからです。ですから人はあらゆる力と手段を尽くしてお金や権力を追求します。

例えば、下級の公務員よりも市長の方が思い通りにできる権限が多く与えられていますから自由になれると考えます。お金があれば制限なしにしたいことを気の向くままに出来るし、行きたい所へいつでも行けるので自由だと思うのです。

ところが、問題はその自由になったところで、本当に幸せなのか? ということです。 お金が沢山あって毎日豪邸で友達と一緒に食べたり飲んだり遊んだりすることが幸せでしょうか? あなたの周りにはあなたの利用しようとする人があちこちにいるのではないですか? 真にあなたを愛する友人を造ることが出来るでしょうか? お金持ちであなたのようになりたいという憧れを持つ人はいるでしょう。 あなたにお金が無くなったらその人たちは一時的には世話をしてくれるでしょうがその先はどうでしょう? あなたはお金をまた得ようとして努力するでしょう。 なぜならあなたの価値観はお金なのですからお金が無いとダメな人間として他人を観ていたように自分を見るでしょう。 だからあなたはお金が無くなる恐怖に内心おびえています。 不労所得をいくら増やしても本当の安心感はあなたに来ません。 地震や戦争など万一の事態になるとどうなるか保証されていないからです。 切りの無い欲望によってあなたはお金をため込み、不動産や不労所得になる資産を増やし続けるのです。 自由だけを願っている人は他人を真剣に愛せません。 自由だけを渇望している人は結局、自分だけを愛している人だからです。 そんな人は他人のために自分を犠牲にすることはありません。 だから真に愛する人が周りにいないのです。 本当の幸せをつかむ必要があります。

真のクリスチャンはどうすれば、どう行動すればよいですか? この世の成功に興味があるのはこの世に未練があるからです。国籍のある天国に思いを寄せる時、はじめてイエスと会えるのです。イエスは天からこの地上に来られました。クリスチャンが行くところはどこですか? 求められるところはどこですか? 必要とされるところはどこですか? 

ルカ4:18  「主の御霊がわたしに宿っている。貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、わたしを聖別してくださったからである。主はわたしをつかわして、囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、打ちひしがれている者に自由を得させ、

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