旧約聖書はヘブル語
新約聖書はギリシャ語
で書かれています。
死海文書として写本が見つかったのも過去にニュースになりました。
さて、人体の命の基礎であるDNAが22の染色体を持っており、偶然かも知れませんがヘブル語も22のアルファベットで成り立っています。
イスラエル国は四国くらいの大きさで、ユダヤ人の国であり、神に選ばれた民族です。ユダヤ人達は今でもヘブル語を使っています。
創世記11:1,6-8には、世界は一つの言葉であり、人が高い塔を建てて高慢になったのを見て、神は言葉をばらばらにしたとあります。
ヘブル語の起源は古くて古代のヘブル語学者たちは神がエデンの園でアダムとイブに言葉を教えて、その言葉で、神の教えを話し、人間が動物達に名前を付けたと主張しています。
ヘブル語のアルファベットは、その一つ一つに象形文字のような意味があります。
初めのアレフは、牛の頭のような絵です。力、リーダー、父を意味します。
22文字目である、終わりのタゔは十字架の絵です。それは救い、聖霊の証印です。
イザヤ44:6には、イスラエルの王である主、これを購う方、万軍の主はこうおうせられる。わたしは初めであり、わたしは終わりである。わたしの他に神はいない。
黙示録の最初、
黙示録1:8には、神である主、今いまし、昔いまし、後の来られる方、万物の支配者がこう言われる。わたしはアルファでありオメガである。
黙示録の終わり、
黙示録22:13にも、わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである。
(アルファとオメガはギリシャ語の最初と終わりのアルファベットです)
また、ヘブル語には過去形や未来形などの時制と言う概念がありません。だから神にもそれが無いのです。
ヨハネ1:1-4 「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 この言は、初めに神と共にあった。 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。」
ヨハネ1:10-14「言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。 言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。 しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。 この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」
この"言"はイエスキリストのことです。新共同訳聖書では、ことばを、言葉と言の二つに使い分けています。それはまた今度説明します。
この意味は、創世記の最初からイエスキリストはいましたと言っています。
不思議な神、力の神、時間のない神、永遠の神、聖なる神、聖なる神、正義の神、正す神、裁く神、義なる神、憐みの神、赦す神、愛の神、恵の神、、、私達人間は神によって造られました。
「あなたは、わたしの内臓を造り 母の胎内にわたしを組み立ててくださった。」 — 詩編 139:13
「あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。」マタイ10:30