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十字架は一回だけなのか?

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あなたがクリスチャンに成るとき洗礼をさずかったはずです。それはキリストと供に死に、キリストと供に生き返る。その時、あなたは一度死に、その時に過去も同時に死にました。そして生き返った時、新しい人として生れ変ったのです。そのあなたは時を経てクリスチャンとして生きています。あなたに十字架は必要でしょうか? そのことについて聖句をみて行きましょう。

ルカ9:62、9:62イエスは言われた、「手をすきにかけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくないものである」。

イザ43:25、43:25わたしこそ、わたし自身のためにあなたのとがを消す者である。わたしは、あなたの罪を心にとめない。

エレ31:34、31:34人はもはや、おのおのその隣とその兄弟に教えて、『あなたは主を知りなさい』とは言わない。それは、彼らが小より大に至るまで皆、わたしを知るようになるからであると主は言われる。わたしは彼らの不義をゆるし、もはやその罪を思わない」。

ガラ2:19-20、2:19わたしは、神に生きるために、律法によって律法に死んだ。わたしはキリストと共に十字架につけられた。( I have been crucified 十字架につけ続けられているの意味 ) 2:20生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。

ピリ3:12 -14、3:12わたしがすでにそれを得たとか、すでに完全な者になっているとか言うのではなく、ただ捕えようとして追い求めているのである。そうするのは、キリスト・イエスによって捕えられているからである。 3:13兄弟たちよ。わたしはすでに捕えたとは思っていない。ただこの一事を努めている。すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、 3:14目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである。

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